(若いアニメーション作家たちの前で)
あなたたちの作品は水準はとても低く、教養に乏しいと思いました。
ピカソ展に行くのは、ピカソを好きでなくても、そこで考え、勉強するためです。
私は、皆さんの自分の殻に閉じこもり、外に出ることを怖がっているという印象を受けました。
例えばあなたの作品はとても形式的です。
形式的というのは、画面の中に、
見る人の心を一瞬のうちにひきつける感情の表現がないということなのです。
人の心に焼き付き、イメージをふくらませるカットがないのです。
これは、あいうえおの段階で作品になっていません。
あなたがたの作品の多くに言えることですが、とても抽象的です。
生き生きとした生活の中から切り取ってきたディテールがありません。
あなたたちは毎日の暮らしの中で周囲を観察しなくてはいけません。
そして面白い瞬間を発見し、記憶してください。
それは人間がどう行動しているかだけではありません。
例えばどう葉っぱが風にそよいでいるのか、
そしてどう風が葉っぱを吹き散らしているのか、
新聞が風でどう飛ばされ、歩いている人の顔にぶつかってしまうのか。
すべての世界の現象を自分の中に取り込まなくてはいけません。
あなたたちは世界の素晴らしい古典を見てもっと勉強をしてください。
例えば映画だったらチャップリンの「街の灯」。
僕自身もあの作品から多くを学びました。
あなたたちは製作者として自分の世界を作り上げなければなりません。
それには勉強するしかないのです。
図書館のすべてをなめつくすくらいでなくてはいけません。
今あなたたちは自分の無知を怖がっています。
だから殻に閉じこもるのです。知識を持つと自由になることができます。
そして、あなたたちの世界も外に開かれるのです。
原作のある作品を映像化する場合、陥りやすい二つのケースがあります。
ひとつは、たらふく食べてつまようじを使いながら、手を伸ばし、本を取り、
「あ、ゴーゴリの外套ね、ま、簡単そうだから作ってみようか」
といって映像化されるものです。
もうひとうは、「ゴーゴリの大ファンで外套という作品が大好きだからぜひ作りたい」
というもの。これは両方とも間違ったやり方です。
私はこう思います。あなたが生きてきた中で、色々苦しみや悩みを味わってきましたね。
そしてある日、外套を読んだとき、その一説に、
「あ、この気持ち経験したことある。よくわかる」と思ったときに、
あなたは作品を作ることができるのです。
あなたが見付けたその小さなディテールのまわりをぐるぐるまわりながら、
自分の世界を作り上げていき、それが単なる原作の映像化ではなく、
あなた自身の作品を作るということなのです。
by ユーリ・ノルシュタイン
小さなディテールを忘れてはならない。