よもやま

4月のひとりごと、と、祈ること。


引越先での生活もいつのまにか5ヶ月程経ち、
諸々が落ち着いたけれど、一日として同じ日はなく、あれやこれやと過ぎている。

まったく更新していなかったHP及びTOCAの活動であるが、
映像部門は進行中で、「初夜」という短編と、「うたたね」という短編を撮りきり、
「初夜」は完成済で「うたたね」は編集中。 

どちらも、丸二日、と、丸一日(夜は飲み)という短期間で撮ったけれど、
良作になっていて、お披露目が楽しみである。
なかなか長編にたどり着けないが、作り続けていられることはとても幸せだ。
日々があってこその、そして健康あっての制作なのだと、最近よく思う。


4階、という今までで一番高い場所に暮らす毎日。
なかなかの眺望で、晴れた日には富士山も見える。
最近はもっぱら、真下で膨らみきった八重桜を眺めている。
そしてその周りにも緑が色々とあるのだが、
先日昼頃に、不細工な大音量で起こされて何事かとベランダにでると、
その緑地の、桜以外の植物のほとんどが撤去されていた。
その人達はまったく悪意はないのだろうけれど、
談笑しながら木を切り倒す植木屋の人達に石を投げたくなった。

僕が引越した日からほとんど毎日、その緑地には一人のおじさんがいた。
70前後の、無口な、たいがいうつむいているおじさんだ。
彼は誰に頼まれるでもなく、雨の日以外の殆どの昼間の時間を、
その緑地に費やしていた。
水やり、植え替え、僕にはよくわからない何かしらの作業。
きっと少しずつ増やしたりしてくれていたに違いない。
どの植物も小さな花も、いつも生き生きとしていた。

そんな緑地があっさりとなくなった。
元々国の持ち物的な場所だし、おじさんには何の権限もなかっただろうけれど、
たった半日で、手塩にかけた植物が文字通り根こそぎなくなっていくのを見るのは、
さぞ辛かっただろうと思う。

でも、もしかしたらおじさんは知っていたのかも知れない。
その場所に工事が入ることは、告知されていた記憶もある。
でもおじさんは、この緑地はいつか無くなるけれども、
無くなるまでは綺麗にしてやりたい、そんなふうに思ったのだろう。

それを他の人は無駄と言うかもしれないけれど、
僕はそういう考え方にはいつも感銘を受ける。

結果がどうあれ、また、無駄に見えるようであれ、無茶であれ、
常に信念を持って行動している人を尊敬する。
気を抜くと社会のよくわからない仕組みに絡みとられ、
人と会う事が多くなると上辺だけの人付き合いに慣れていき、
大事にしなければいけないものさえも見失いがちだからこそ、
どうにか踏みとどまらなければ、と思うのだ。

子どもの頃、色々を知ってしまうと目が黄色くなると思っていた。
なぜそこに純粋さのバロメーターを求めたのかは分からないけれど、
今や沈んだ黄色になっている白目を眺め、
ぼよんぼよんのお腹をつまんでみても無感覚な程に慣れ親しんでしまった。

失ったものは取り戻せないしもちろん過去には戻れないしそんな気も湧かない。
だからまずは今日を丁寧に、そして後悔しない明日を。
僕が手にしたそれらの時間のひとつひとつ、一秒一秒は、
誰かが差し出してくれた何にも変えがたい貴重なものなのだ。

いつもとてもお世話になっている僕の尊敬する方が、
今日手術を受ける。
世界の終わりが明日に迫ったとしても
生徒が一人でも入れば必ず教壇に立つような方だ。

万事無事に、と、祈る事しか出来ない自分の無力さを痛い程に感じる。
それでも僕にできることは、
力強い作品を、できれば人の心を動かすものを、作り続けることだけだ。
それは地震を止めてくれるわけではないし、
どこかの誰かのの餓えを満たすものでもないし、
もちろん大切な人の病気を直す事もできないけれど、
誰かの明日を少しだけでも変えることができるかもしれない、とは思っている。
そういう意味で、僕は教育の強さを信じるし、
そして同じ位、人が五感で感じることができる作品の強さを信じているのだ。

だから手を動かさなければ。
どんな生き方も等しく尊いと思うけれど、
雑な生き方だけはすまいと、自分に言い聞かせてみる。

http://www.toca.jp/days/post_324.html
甲斐博和
2011.04.26