最近、今日が何日、という認識がおぼろげで、
ふと見た腕時計で日付を知る。
七夕、ではあるが、とくに街はそうでもない。
かろうじて公民館に笹が飾ってあっただけだ。
短冊にお願いするという行為が
不毛かもしれないという疑惑が世界に満ちているのか。
多分満ちていないけれど、
世に問う政治家達の論弁は、聞く度に不毛な気持ちになる。
今やることを、明日やることを、誰も口にしないのが苦手だ。
今日という今だけが明日を作るんじゃなかろうか。
聞こえのいい、キャッチーな理想の空々しさときたら、
くだらないバラエティ番組を見ているような不快感だ。
でも選挙にはいくけれど。
それはそれとして、
今日、ぱらぱらと見ていた雑誌で、
首の後ろに、hirokazuという入墨をいれている女性の写真を見た。
誰もあまり知らないが、僕の下の名前は博和という。
なんだか、一度どこかでお会いして、
その事実だけを伝えて一杯おごりたい。
世界は広いようで激狭だ。
だからどうしたって誰かと向き合うはめになる。
そんな時に僕らができることは、
まずはグラスを合わせる、なんていう具体からでいいのだと思う。
単純だけれど、理屈じゃないところで人は繋がる。
暴力と欺瞞がうずまいている難しい世の中で、
正しいかもしれない声は風にかき消されても、
グラスを掲げるその姿はきっと誰かに何かを伝える。
そうやって社会の片隅に幸せが訪れる、と、いいな。
一昨年の今日に生まれて、
まだ世界を二年間しか知らない姪っ子に
穏やかな未来が訪れることを願う。