よもやま

2010年1月20日、一月もいつの間にか折り返し

ようやっと、「それはそれ、」の字幕つけが終わり、
ゆうばり映画祭に提出。
「一週間前位には終るかと、、」なんて言っていたのに、結局ギリギリだ。
思えば、締め切り前に余裕で終ったことなんてないのだけれど。

字幕をつける、という作業に対しての先人達の情報量が、(ネット上において)
あまりにも少なくて、やきもきした。
というか結局うまくやるにはお金を払ってソフトを買うしかないのだ、
ということだけが判明し、その選択肢を選ばなかった僕には
砂を積み上げるような細かい作業を強いられた。

そのせいか、生まれて初めてのドライアイ。
しんどい、とは伝え聞いていたものの、こんなにいかんともしがたいものだとは。
しばらくパソコンを見ないようにするのが一番なのだろうけれど、
さすがにこのライフラインを切るわけにもいかないので、
どうにか折り合っていくしかない。
潤い、という文字がなんだか羨ましい。

今日は作業後に、coccoのドキュメンタリーと小津監督の「浮草」を観る。
coccoは、めちゃくちゃな部分もあるし、
子どもっぽいと言われてるのもまあうなづけるけど、
しゃべってることは芯が通っているし、届く言葉だな、と思う。

僕らは生きることを許されているのだから、
せめて生きている間は何かを待つでもなく誰かに期待するでもなく、
がむしゃらにならないと、と改めて思う気持ちはとても平穏。

生きろ、と人にメッセージを投げかけるのはとても難しい。
煙たがれることも、押し付けがましいと言われることもあるだろう。
でも結局、なんであれ、表現の奥底にはその三文字が漂っているようにも思う。
いつだったか、自分の作品の伝えたい核を聞かれた時にも、
結局出た言葉は、人が明日も生きようと思える事、だった。

coccoがむきだしに平和(というかこの世界において人がやるべきこと)と命を語り、
小津監督はまったくもって静謐に、何十も丁寧に包みあげた人の生き様を差し出す。

なんだかその間でぐわんぐわん揺れながら、
どこにでもありそうな生活や人生の中にきらめく一瞬をぐっと掴むような、
そしてそれがそうっと人の背中を押すような、そんな台本を書きはじめなくては、
と、腰が動くような動かないような。

でもとりあえず、部屋、というか今外壁に面した押し入れを開け放った机の
その空間だけがやたらに冷えるので、早く春が来たらいいとも思うのだった。
もしくは寒さのない穏やかな暖かさの国に住みたいものだ。

あたたかな町で縁側に座って少し遠くの海でも眺めながら、
昼からお酒をちびちび飲めるような生活は、いつになるやら。

http://www.toca.jp/days/2010120.html
甲斐博和
2010.01.20